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家でバーベキュー

今日で3月も終わり、だんだん春らしくなって来た(^◇^)

小学生の頃に河内長野にある川に何度か家族でバーベキューをしに行った事がある。
冷たくて透明な綺麗な川で人もそんなに居てないので穴場だった。
夏場などはスイカを川で冷やしてる人もいてた(^o^)

川に足をつけたりできるし良いところやな~(=´∀`)と子供ながら気に入っていた。
しかし良いところなので年々バーベキューをしに来る人は増えて行き…
ある年のゴールデンウイークにはとうとう駐車場に入れなくなった( ̄◇ ̄;)
お父さんは肉を買ったりコンロなどバーベキューの用意をはりきってしていたがその行列を見て諦めてUターンを始めた^^;
みんなお腹がペコペコになりながら車からバーベキューできそうな所を探しながら帰っていた。
なかなか出来そうな所が見当たらず家の近くまで帰ってきた所で大和川が目に入った。
大和川は昔は汚い川として有名だったのでバーベキューをする人は一人も見当たらなかった。(今は綺麗に舗装されてバーベキューをしにいっぱい人が来ている(^-^))

お父さんが「大和川でバーベキューするか?」と言ったので
極限にお腹が減っていたけど、兄妹は全員「知ってる人に見られたら恥ずかしいから嫌や( ´θ`)」と言って拒否した

そうこうしてる内にとうとう家に着いてしまい結局家でバーベキューをして食べたことがある(⌒-⌒; )
しかしお腹が空きすぎていたのでとにかく無心に肉をほおばり、その味は格別に美味しかったのを覚えている(*^_^*)

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さようならファミリア

お父さんの会社で乗ってた年を合わせて15年乗ったファミリアもとうとう最後の日がやってきた。

ある日ファミリアに乗ったらフロントガラスに亀裂が入っていた( ̄◇ ̄;)(たぶん飛び石が当たったのかな…)
窓を取り替えるとなると大方3~4万はかかるらしく(もっとやったかな^^;)
今までファミリアの修理にけっこうお金をかけてきたので「もう乗り換えてもいいんちゃうか(⌒-⌒; )」と言う結論に至った。

友達と旅行にファミリアで行った時、友達の車と平行して走り「カーチェイスや(^◇^)」とはしゃぎ過ぎて高速に乗り損ねたり。二度ほどオカマされた事もあったり、後ろの座席に何故かけっこうな数の蟻がたかっていた事もあった(−_−;)10年の間、たくさん友達を乗せてきた( ´ ▽ ` )楽しい思い出の数々…

ファミリアの最後の日、新車を取りにファミリアに乗ってお店に向かった。
そこには綺麗な新車があった。
ファミリアは処分されるので最後忘れ物が無いかチェックしに車の中に入ると、中は空っぽになっていてサッパリしすぎてなんだか淋しい気がした。
そしてみんなで新しい新車に乗りこんだ。最後ファミリアをお店に残し別れを告げた。

ファミリアには、今まで楽しい思い出をありがとう(=´∀`)人(´∀`=)
そしてお疲れ様でした!と言いたい(^o^)

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ファミリア危うし

マツダのファミリアは最初はタダで貰ったが、10万キロを越えたあたりから次々と部品の寿命がやって来た。
そしてそのあたりからファミリアは友達からはおじいちゃんと言う愛称で呼ばれるようになっていた。
クーラーは潰れるしブレーキペダル、ラジエーターと次々に壊れていった( ̄◇ ̄;)修理代が…

友達とたしか奈良辺りにファミリアで遊びに行った帰りファミリアの調子がおかしくなり、いつも車検を出している店に電話をすると「電気系が悪くなってるのでなるべく電気を使わないように( ̄^ ̄)車が止まってまうから」と言われたので、夏の暑い中クーラーを切り窓を全開にした( ̄◇ ̄;)
指示器のライトやブレーキランプも極力使わないように瞬間だけつけるようにした。
いつ車(おじいちゃん)が止まるかとみんなヒヤヒヤしていたが何とか電話した車検屋に無事に到着した(~_~;)
車検屋のおっちゃんは「無事に帰ってきたな~(^◇^)」と笑い「夜やったら絶対にライトを使うからあかんかったやろな~昼間で良かったな」的な事を言われてほんまに助かったと胸を撫で下ろした記憶がある。

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マツダのファミリア

昨日の続き…
そして免許が取れて車はお父さんの会社でちょうど使わなくなった営業車をタダで貰った。
(車検だけこちらで払った)
お父さんの会社に妹と車を貰いに行った。確か兄ちゃんもいてたかな?
工場の真ん中に車はひっそりと置いてあった。
暗い灰色のセダンで真ん中に赤いラインが入っていた。
見た時の一番の印象は、なんかおっちゃんが乗ってそうな車やな(⌒-⌒; )だった。
マツダの〝ファミリア〟という名前の車でそれから10年ぐらいはお世話になることとなる。

車が来てからお父さんは会社から帰ってみんなでご飯を食べた後、毎日の様に私と妹と共に車の練習に連れ出した。
お父さんは毎回ぐねぐねしたカーブの多い山に連れていき(−_−;)私は慣れてないので運転するのがすごく憂鬱だった。一度左に車をよけないといけない時に右によけてしまい正面衝突しそうになってヒヤッとした事がある(; ̄ェ ̄)しかし、連日のお父さんのスパルタ式の講習をもって何とか走れるようになっていった^^;

お父さんは助手席で指示してる時に動じていないように見えたが、免許を取って何年か後に「お前らの運転怖かったわ~( ̄◇ ̄;)」と実は内心怖かった事を語っていた。
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車の免許証

車の免許は18歳になった時にお父さんに強く勧められたので妹と一緒に教習所に通うことになった。
その時は車なんか乗れんでも良いのに…(; ̄ェ ̄)と内心思っていた。

近所の教習所に行き出したが、元々どんくさいのでスピードはのろのろやし、S字カーブは落ちて道に戻れず。縦列駐車と駐車はやり方を言ってもらわないと入らないし、先生には「ミラーの見かたが出来てない(`_´)ゞ」と怒られるし…車に乗る時はいつも憂鬱だった。
何回か補習をして、とりあえず何とか仮免は取れた。
そして最後の地図を見ながら帰る実習も何とか合格した(^_^;)
(地図はちゃんと見れてなかったけど練習の道を覚えていたので)

最後の筆記試験の日、平日だったので会社を休んで妹と一緒にお父さんの運転で門真まで行った。
筆記試験が終わり結果発表になった。
私は緊張しながら電光掲示板を見ていた。
パッと数字が出てきて、(あっ!番号があった(^◇^)と喜んだ。
試験官の人が「数字が無かった人は立ってください」と言った。
後ろに居てる妹を振り返ると!?(・_・;?あれっ
妹は席を立っていた。
すぐに掲示板を見ると、(あっ( ̄◇ ̄;)まりちゃんの番号が消えてる…)
私と目が合うと妹はとてもせつなそうな顔をした。
私はどうすることもできず(~_~;)そして確かその後、妹は強制的に退場させられていた。
とても複雑な気持ちだった。

妹は次の試験で無事に合格した。その時はほっとしてとても嬉しかったのを覚えている(^O^)
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おばあさんにそっくり

私はお父さんによく「恵理子はおばあさん(お父さんの母)にそっくりや( ´θ`)」と言われる。
おばあちゃんは私が幼稚園の時に亡くなったのでよくは知らないが、お父さんの話の情報で知る限り
おばあちゃんの性格は ①人から世話になるのが嫌い②頑固③男みたいな性格
のようなので性格が似てると言われてもおばあちゃんには悪いけど正直あんまり嬉しくない(; ̄ェ ̄)

おばあちゃんは終戦の年に最後の子供のお父さんを産んだ。おじいちゃんはとても優しい人だったが戦争で戦死してしまった。おばあちゃんはずっとおじいちゃんが死んだ事を信じられなかったらしい(-。-
生まれたばかりの子どもを合わせて6人、おばあちゃんは百姓をしながら女で一人子育てしたそうだ。
だから男のような性格だったのかな…(^_^;)

15歳の時に徳島から大阪に働きに出たお父さんの事が気掛かりで汽車に乗っておばあちゃんは一人でやって来たけど
お父さんは田舎っぽいのが恥ずかしくて「帰れ」と言って徳島にかえした事があったと言っていた。

お父さんが結婚してから孫を世話するのにおばあちゃんは度々大阪に来た。
おばあちゃんが徳島に帰る時にお父さんが「駅まで送るわ」と言ってもおばあちゃんは「いい」と言って断固拒否して歩いて自分で帰ったそうだ。
お父さんは「最初はいいんやけど最後は絶対にケンカになったわ( ̄▽ ̄)」と言っていた。

まぁ私が頑固な所は認める。人の言う事も納得しないと聞かないし。
…しかし「お父さんも受け継いでるよ!( ´θ`)」と言いたくてしょうがない。
お父さんに感謝はしてる、してるけど…でも、むしろお父さんの方が。。。

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はなちゃん7ヶ月

今日ではなちゃんもちょうど7ヶ月になった( ´ ▽ ` )

離乳食もはじまりお粥を食べ始めた。そして寝がえりも上手くできるようになってきた。
手先も器用になってきてイヤホンの耳に入れるところを口の中に入れて遊んでいるのを見かけた(⌒-⌒; )

あっという間の7ヶ月だった。
産むまでは時間がゆっくりと過ぎてたけど生まれてからは倍速の速さに感じる。
うちのお母さんは「気づいたら60やったわ^^;」と言っていたので段々一日が過ぎる速さが増してくるんやろうな(; ̄ェ ̄)と思う。

確かにこの間30歳になったばかりと思っていたけど31・32となり今年の6月で早くも33歳になる。
だんだん自分の想像を越える歳に入って来たな~(・・;)としみじみ思う。


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徳島と高知に帰る

昨日は夫の徳島と高知に住んでいるおばあちゃんに会いに田舎に帰った(^-^)
朝の5時過ぎから出て途中、道の駅に寄ってお寿司を買った。
田舎のお寿司は柚子の酢で作るので独特の香りと癖がある。

子供の頃に田舎に帰って、そのお寿司を食べた時に、見た目は普通のお寿司なのに食べた瞬間プーンと柚子の香りが来て違和感を感じた(⌒-⌒; )普通の酢に慣れてるとゆずの酢は結構きつい匂いがする。
子供の頃はそのお寿司が苦手だったけど段々食べ慣れてくるとそっちの方が美味しく感じるようになってやみつきになる、そんな不思議な魅力があるお寿司だ(*^o^*)
お寿司はサンマやアジとかカマス、サバなどを一匹真ん中から開いて魚を頭から丸々酢につけてお腹の方に酢飯を詰めた物がよく出ていた。私が一番好きなのは寿司飯を扇形にかたどったお寿司で、上に金時豆が乗っていて真ん中には甘辛く炊かれた人参や竹輪が入ってるのを好んで食べていた( ´ ▽ ` )

握りとか惣菜をスーパーで買い足して高知のおばあちゃんの家に行ってお寿司を囲んで団欒したo(^▽^)o
はなちゃんは寝がえりしたりおばあちゃんと遊んだりしていた。
おばあちゃんの膝にはなちゃんを乗せると「重たいわ~( ̄◇ ̄;)」と本当に重たそうな感じで言っていた。

それから高知を出て徳島にいてるおばあちゃんのうちに向かった。
家について、はなちゃんを見せると「大きい大きいって聞いてたけど普通ぐらいやんか(^。^)」と言っていたが
「足は太いですよ」と足を見せたら「あれ~すごい太いな~こんな太いのは見たことないわ~(^○^)」と言って笑っていた。そして4時頃になりおいとました(^-^)

徳島のおばあちゃん手作りの巻き寿司をもらったので淡路のサービスエリアでラーメンと一緒に美味しく頂いて4時間かけて無事に泉南に帰ってきた(^O^)その4時間ずっとはなちゃんは起きることはなかった(⌒-⌒; )
着いたら夜の10時、疲れたけど田舎に帰れて良かったなと思った(^。^)
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法事の出来事

田舎の法事の話。
田舎の法事は大阪と違って、家に親戚を集めて住職を直接呼んで行われる。
そして住職は「おじゅっさん」と呼ばれている。
その日は若いおじゅっさんがやって来た。
親戚みんなかしこまって正座をしてお経が始まった。
私と妹もなれない正座をしてお経を聞いていた^^;
「なんみょうほうれんげいきょう…」的な感じで始まり長いお経が始まった。
途中、親戚みんなのお焼香も終わりお経を聞いていると
おじゅっさんが大きい声で「せんざ~い!せんざ~い!」と繰り返し言っていたので私は
(洗剤…?)と思って隣の妹を見ると、妹も同じ事を思った様な表情をした。
不謹慎やから笑ったらあかんわ!(−_− )と強く思えば思うほど、おじゅっさんが「せんざ~い!」と言う度に笑いが押し寄せるようになってしまい妹と肩だけ震わせ堪えていた( ̄◇ ̄;)
おじゅっさんのせんざ~い攻撃はしばらく続き笑いを堪えすぎてヘトヘトになった(~_~;)
1時間は経ってお経は終わった。
それが今までに一番印象に残っている法事だった(^◇^;)
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トイレでの悲劇

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小学3年か4年ぐらいの時にお母さんにお願いしてずっと憧れだった誕生日パーティーを開いてもらった(*^o^*)
妹と私と友達3人ぐらいを家に呼んでのささやかな物だったけど、とても嬉しかった記憶がある。
お母さんはお菓子を何種類かとジュースなど揃えてくれていた(^o^)
友達からプレゼントを貰いお菓子を食べてとても楽しい時間が流れた。

一人の友達が途中トイレに行った(我が家のトイレは当時ぼっとん便所(かがむ式)で汲み取りがきていた。)
その友達はトイレから出てくるなり泣いていた。
「どうしたん!?(゚o゚;;」と聞くと
友達は「トイレにスリッパ落としてん( T_T)」と言った。
それを聞きつけたお母さんは「エッツ!?? スリッパ落としたん??Σ(・□・;)」と顔を曇らせながら言った。

それからビニール手袋を付けてスリッパを取りにトイレに入って行った。
トイレの外でみんなお母さんの作業を見ていると、
お母さんは「ここに物を落としたら汲み取り屋のオッちゃんに怒られるんや( *`ω´) 」と容赦なく言っていた^^;

その友達はたぶん家は水洗トイレでうちのぼっとん便所には慣れてなかったんやろうな(^◇^;)と思い、お母さんのキツイ一言を気の毒に思った。

叔母さんからのプレゼント

お父さんは徳島で6人兄弟の末っ子で生まれた。
一番上がお兄さんで、間の4人はすべてお姉さんだった、そして最後にお父さん。

幼稚園ぐらいの時に田舎に帰った時に一度だけ私と妹だけが2番目のお姉さん(叔母さん)の家に行って
ラーメンを食べさしてもらった記憶がある。確か袋ラーメンに生卵が乗っていた。食べ終わった後
叔母さんが「アイス食べるけ?(^O^)」と言ったので
(やったー!!アイスや!(=´∀`))と喜んでいたらカップに入った透明の〝みぞれ〟が出てきたので急激にテンションが下がった思い出がある。

それから叔母さんがスーパーに私たちを連れて行って「何でも好きな物買い(^◇^)」と言ってくれた。
両親以外の人から初めて買ってもらうので瞬間ためらった。しかも何でも好きな物って…すごいな!(◎_◎;)
本当は一番バービー人形が欲しかったけど、気後れした私たちは近くにあった靴下売り場を見つけて「靴下がほしい…(^。^)」と言った。
叔母さんは「ほんまに靴下でいいんか^^;」と言ったが「うん」と頷いた。
叔母さんは私たちに「こんなんどうや~(*^o^*)」と靴下を見せながら語りかけ私たちは(それでいい)と頷き、叔母さんはフリルとかリボンの着いたかわいい靴下を見つけて何足か買ってくれた。
「ありがとう( ̄◇ ̄;)」と言ってどきどきしながら靴下をもらった記憶がある(⌒-⌒; )
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一家徳島に帰る

田舎の徳島には殆ど法事の時にしか帰らなかった。

しかも子供の頃は小さい軽の車に6人乗って走っていた(^_^;)ほんまはあかんけど…
お父さんは運転手で助手席にはお母さん、そしてお母さんの膝の上に私が乗り。
後ろの席は兄ちゃん2人と妹1人が乗っていた(⌒-⌒; )

まだ明石大橋が通っていなかったので交通手段がフェリーしかなくて大行列の車の中、何時間も車の中で待ってフェリーに乗って帰っていた。
フェリーに乗り込んですぐに集金所があり、人数をゴマかす為に毎回お父さんに「下に隠れろ( ̄◇ ̄)」と言われて何人か車の底に隠れていた記憶がある。

夏場は車にクーラーが付いていなかったので地獄の様だった(~_~;)
みんな水筒のお茶と紙パックのジュースとか飲んでしのいでいた。
当時貧しかったので道中はお母さんの手作りのおにぎりを食べていた。
高速の無い時代だったので、したみちをひたすらお父さんは休憩もせずに頑張って運転していた。
(運転だけでも往復12時間ぐらいはかかっていたような…しかも毎回殆どがとんぼ返り)

一度お父さんが徳島から帰える時に道に迷って夜中に山の中に入ってしまい真っ暗な中グルグルと彷徨ったらしい(-。-
お父さんは「あの時は気持ち悪かったわ~(; ̄O ̄)」とよく話している。

今は明石大橋もできてフェリーで帰る事は無いけど、お父さん一人で運転大変やったやろうな~と思う(^_^;)
フェリー

天井の蜘蛛

今の家はけっこう蜘蛛をよく見かける(⌒-⌒; )
昨日何気に天井を見上げたら蜘蛛の巣が張っていたので掃除機で吸い込んだ。

子供の頃、徳島県にあるお母さんの実家に泊まった事があってその当時は薪でお風呂を焚いて入っていた。
部屋以外は下は石のようになっていて台所もトイレも離れていて薄暗く不気味だった。
田舎なので虫もいっぱいいた(~_~;)

布団を敷いて寝ていると天井に八尾ではまず見たことがない大人の手のひらほどある蜘蛛が張り付いていた(◎_◎;)
気持ち悪かったけど蜘蛛の存在を知らなかったのかお母さんはそのまま寝ていた。

私は(蜘蛛が歩いてきて顔の上に乗ったらどうしよう)と思って不安でなかなか寝ることができなかった。
どうしようも無いのでその日は布団を被って寝た。

朝起きると蜘蛛はほとんど位置を変えることなく壁に引っ付いていたのでほっと安心した記憶がある(^◇^;)
大きなクモ

通学時のアクシデント

高校生の時の話。

行ってた高校は家から自転車で10分ぐらいの近いところにある。
雨が降っていたある朝、その日も傘をさして自転車で高校に向かった。
けっこう風が強い日で傘も風に耐えながら頑張っていた(^_^;)

学校のすぐ手前にT字路があって
そこには信号待ちで生徒が何十人も毎朝自転車で列を作っている。
信号待ちの行列の前を自転車で通り抜けようとした瞬間
突風が吹いて一瞬で傘がおちょこになった((((;゚Д゚))))ギャッ
傘はおちょこの状態をキープしたまま行列の前を通り過ぎて行った。
通り過ぎた後、傘はすぐに元に戻った(; ̄ェ ̄)

この上ない恥ずかしさに包まれた朝だった。

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お財布の中の小銭

いつまでも忘れられない話。

幼稚園ぐらいの時に、お母さんが台所にいてない時に
冷蔵庫の上に置いてあった財布から小銭をとったことがある(ーー;)

その時はお金があれば何でも買えると思っていたので
その小銭を持って家から1分ぐらいで着く裏にあるタコ焼き屋さんに行った。

冬場やったけど「ドラキュラアイス」を手に取りタコ焼き屋のおばちゃんに小銭を渡した。

おばちゃんは「お金が足りないよ( ´θ`)」と言ったので
(えっ??これじゃ買われへんねや(◎_◎;))と思って
慌てて小銭を戻した。

そのやり取りを隣の家のお兄ちゃん(3人男兄弟の次男)が見てて
「それ買ったるわ(^◇^)」と言ってお金を払ってくれた。
私は「ありがとう(; ̄O ̄)」と言ってそそくさとその場を離れた。

そして1分で家に着くのにお母さんにばれないようにわざわざ遠回りをしてアイスを食べた(−_−;)
急いで口の中に放り込み、味も分からず口の中は凍ったように冷たくなっていた。
アイスを全部食べ終わり、家に着くと暖かくてホッとした(-。-;

その時は子供やったけど今でも悪いことをしたわ(~_~;)と忘れられない出来事だ。


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華夏ちゃんの名前

はなちゃんの名前は「華夏」と書いて〝はな〟と読む。
名前は当初なかなか決まらなかった。

夫は最初から〝夏〟の字が付けたかったので私の〝恵理子〟の〝恵〟を取って
「夏恵(ナツエ)はどうかなー?」と言ったので
(ナツエ…( ̄O ̄))
私は「ハナコはどうかな?」と言った。
「そうやなーそれも良いね(^◇^)」と夫は言った。
その日はその話し合いで終わった。

私はどうしても〝はな〟が付けたかったので、次の日からお腹の子を
「はなちゃん(仮)」と呼ぶことにした。
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私が勝手に名前を呼んでいることに夫は最初戸惑っていたけど
私につられて段々「はなちゃん」と呼ぶようになっていた(^_^;)ごめんねー

そして、赤ちゃんが無事生まれた。
二週間以内に決めないといけないので病室で
「花夏」はどうやろう?(字画が悪いので却下した)
名付けの本を見て「初花」と「羽花」もあって悩んだが
やっぱり夫は〝夏〟が良いらしく最終的に「華夏」に決まった(^○^)(華は字画が良かったので)

泉南市の市役所に行き書類を書いて正式に名前は決まった。
将来、自分の名前を気に入ってくれたらいいなと思っている( ´ ▽ ` )





初めての海外(韓国旅行)

24歳の時、韓国に海外旅行に行った時の話o(^▽^)o

初めての海外旅行は韓国だった。
妹と友達みんなで関空から韓国に向かった。
インチョン空港に着いてから地理が分からないのでガイドの人に連れられて焼肉屋さんに向かった。
焼肉屋はキムチが色んな種類が無料でついてきてたが韓国人向けの味で余り好みではなかった( ̄◇ ̄;)
その店はあまり美味しくなかったので「騙された…失敗したな~(; ̄ェ ̄)」とみんなで言っていた。

韓国は〝垢すり〟が有名なので友達と送迎のバスで連れられた。
服を脱いで、大きい風呂場に連れていかれ始めはしばらくサウナに入らされて皮膚を柔らかくした。
お風呂にも浸かった後、黒いブラジャーと黒いパンツを履いている従業員と思われる(それがそこの制服f^_^;たぶんサービスのつもりかな?)おばさんに全身をこすられ、こしょばいので、ずっと笑っていた(=´∀`)
垢を洗い流しタオルで全身を拭いてもらった。
何か分からないがそのおばさんに親近感と感謝の気持ちでいっぱいだった( ´ ▽ ` )

全身ピカピカになった後「チンコゲ」と言う友達が調べてくれたお店に言った。
確か〝プルコギ〟を食べてそこはものすごく美味しかった(^◇^)また行きたいな~
あと食べた中で〝ピンス〟と言う大きなガラスの器にかき氷と上に何種類ものフルーツが乗った物がとても美味しかった。4人ぐらいでつついて食べる\(^o^)/

韓国はバッタ物が多いので本当は買ってはいけないけどお土産に店に置いてあった『GUCCI』の鞄を買った。
ブランド物に疎かった私はちゃんと見ずにそれを買った。
その後に鞄のロゴをしっかり見てみると本当は「G」だけなのに「e」もついていた!(◎_◎;)
あからさまにバッタ物だったのでショックを受けた。
eとGなので友達に「こんなんイージーファイバーやん!(食物繊維が取れる粉末)( *`ω´)」
と言ったら友達が笑っていた。
あともう一つお父さんには『ルイヴィトン』の黒い財布を買った(全然興味はないけど( ̄◇ ̄))

韓国から帰りお父さんとお母さんにお土産を渡すとお母さんはGUCCIもどきの鞄を見て
「あらいいやんo(*゚▽゚*)こんなん貰っていいの?」と喜んでいた。
お父さんは「おっ!?ルイヴィトンの財布か~(^○^)」と言って早速使ってくれていた。
バッタ物でも喜んでくれる両親だった( ´ ▽ ` )ノ









みんなで伊勢旅行

20歳ぐらいの時に妹と友達何人かで伊勢に旅行に行った時の話o(^▽^)o

伊勢の旅館に着いた。旅館に入った瞬間昼間なのに薄暗かった。
みんなで部屋に向かうと造りは古い感じで確か赤い絨毯が敷いてあったような…
部屋に入ると窓がなく暗かったので電気をつけた。携帯は圏外になっていた(; ̄O ̄)
ちょっと怖いな~(-。-;)と思っていたが伊勢なので晩ご飯は色々海産物の美味しいものが出て満足した(^∇^)
お風呂に入り布団に入り就寝した。

寝てから暫くして暗闇の中、妹と友達の話し声で目覚めた。
私は寝ぼけながら「どうしたん?」と聞くと
「何か音するから気になってん」と友達は言った。
「足音みたいな…」
!(◎_◎;)耳をすますと確かに階段を上がる様な音がした。
気持ち悪かったので「電気を付けたらいいやん( ̄◇ ̄;)」と言った。
寝てる子もいたけど電気を付けて音のする方を調べて見た。
床の下から音がするので妹がそこを触った瞬間に音が止まったΣ(・□・;)
友達と妹は音が無くなったので「もう寝よう( ´θ`)」と言って布団に入って行った。
私は妹が触ってから音が止まったので妹が幽霊に乗り移られたんじゃないかと思って恐ろしくなった(−_−#)
また耳をすますとさっきの音が何秒かに一回聞こえてきた!(◎_◎;)
怖かったけどみんな寝てしまったので一人で恐怖と戦っていた。
体勢を横にして枕で片耳を塞ぎもう片方は布団を頭からすっぽりとかぶり音を遮断した。

一晩ほとんど寝ることなく朝になったf^_^;)
起きてきた妹と友達に私は「昨日、全然寝られへんかったわ( ̄◇ ̄;)」と言うと
「エッ!?寝てないの??」とびっくりした様な表情をし
一晩布団をかぶって顔がむくんでたのでそれを見て笑っていた(^^
そして足の間も汗でびっしょりになっていた。

一人の友達がなかなか起きてこずみんなで見ていたらいつもニコニコ性格の良い子が寝言で
「お前らみんな殴ったんねん( *`ω´) 」と低い声で物騒な事を言っていたので、さらに驚愕した思い出がある(^_^;)
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奈良に一泊

つづき
妹から「奈良に泊まったら(^O^)/」と言われたので
冗談かと思ったら妹は本気で言っていたらしく(ダンナさん的にはエッッΣ(・□・;)ときっとなっていたはず)
私は「どーしようかな…(最近も八尾に泊まったしな~連続やけどな…( ̄◇ ̄)」
取りあえず夫に連絡したら 「いいよ~」との返事だったので厚かましくも泊まらせてもらうことにした(^_^;)
イサムさん(妹のダンナさんの名前)ごめんね~(^^;;

そうこうする間に夜ご飯を妹が作り始めた。
今日のメニューは焼き餃子とサラダと〝ふきのとう〟の天ぷらだった。
妹が「けっこう大っきいからエグそう(ーー;)」と言いながら〝ふきのとう〟を冷蔵庫から出してきた。
通な物を買うんやな~(^◇^)と思った。
パックに入った〝ふきのとう〟は妹が言ってる通り確かに大きく育ちすぎてる感はあった。

夜ご飯が始まったo(^▽^)o
姪っ子は一番乗りに餃子をワイルドに手づかみで美味しそうに食べ、お昼に食べた緑のシチューはまた同じように泥棒の様になりながら飲んでいた(^∇^)
私も餃子を一口食べて美味しかったので「美味しいな~( ´ ▽ ` )」と言うと
妹は「嬉しいわ~(^O^)/」と喜んでいた。
次に〝ふきのとう〟の天ぷらを箸に取って一口齧った。
(苦っつ!(◎_◎;)そしてエグっ)
味を確かめるようにモグモグと咀嚼した。(確かに春の様なほろ苦さが…?)
最終的に巨大な〝ふきのとう〟が一つ皿に残っていた。
それを妹夫婦は「これ巨大やし絶対エグいって(>人<;)イサムくん食べてよ」
ダンナさんは「俺もう大っきいやつ2個食べたで(; ̄O ̄)」(確か合計三個)
妹は「私も3個食べたもん( ̄◇ ̄;)」と言い返していた。
一番巨大な〝ふきのとう〟をめぐって夫婦で小競り合いが起こっていた。
(そして私は1個しか食べてない(^_^;))
最後は食べられず引き上げられて行った。

お風呂に入りはなちゃんと共に就寝し、翌日朝ごはんを頂き無事泉南市に帰ってきた(^∇^)
昨日の様な渋滞にはまらずお陰でスイスイと帰ってこられた。(ありがとうね~(^O^)/)

妹夫婦へ
おいしいご飯と1泊お世話になって本当にありがとう助かりましたo(^▽^)o









奈良の集まり

昨日は奈良にある妹の家に友達と集まった( ´ ▽ ` )ノ

お昼にケンタッキーのフライドチキンを食べながら、みんな「ここは胸肉や( ´θ`)ぱさぱさでハズレや」
とか「ここはモモや(^O^)当たりや」と言いながらワイワイとお昼を食べた(^-^)/

姪っ子は、妹が作ったほうれん草入りのシチューをわんぱくに食べて口の周りが泥棒のようになっていた(^◇^)はなちゃんは飲んでいたお茶をあげると気に入ったのか何回も催促してきた。
お茶を飲んだあとは口の上に2本ぐらいシワを作ってチュパッと何回もしてたのでみんなシワを見て笑っていた(=´∀`)

人見知りだったはずのはなちゃんは友達のだんなに(〝兄さん〟と呼んでいる…色黒でポッチャリ太ってるので正式には〝黒豚兄さん〟で双子の私達は白くて同じくポッチャリ太ってるので〝白豚の妹〟の設定にいつの頃からなっている))抱っこしてもらい嬉しそうにずっと笑っていた'(*゚▽゚*)

そしてご飯を食べた後みんなでゲームをした(^o^)
友達のあっちゃんが一生懸命ルールを読んでくれてたけど難しいのでみんな半分寝りかけの虚ろな目をしてた。
ゆきちゃんが途中から参戦してきて戦い方を誤ったらしく、しきりに「失敗したわ~(; ̄O ̄)」と言っていた。
二種類のゲームをして最後は盛り上がって終わった(^O^)

あっという間に時間は過ぎおひらきになった(=´∀`)
みんな帰る準備をして、私は「帰る前にはなちゃんにミルクをあげるわ」と言ってミルクをあげながら友達を見送ったo(^▽^)

暫くして友達から妹の電話に「えりちゃんに阪和道混んでるで~と伝えといて」と情報をくれた(^o^)
難儀やな~(^◇^;)と思っていると
妹が「泊まって行ったら(^O^)」と言ってくれたので甘えてその日は急きょ泊まらせてもらうことにした( ´ ▽ ` )

妹との戦い

たしか、もうすでに20歳半ばでいい大人になってたと思うけど
ある夏の夕方、妹と一緒にスーパーでチューペットを買った。
確かソーダ味の「チュー助」という名前でねずみの絵がついてたような…

それを自転車の前カゴに乗せ、そのまま『古本市場』に自転車で向かった。
ところが、私は自転車のカゴの中にチューペットを忘れたまま店の中に入ってしまった。
暫くしてから気付いて急いで店を飛び出した。
前カゴをみると「!!(◎_◎;)チュー助が無くなってる!!(家で冷やして食べようと思ってたのに!!(T_T))」
すでにチューペットは盗まれていた。

妹は「あんたカゴに忘れとったで( ̄ー ̄)」と言ったので
私は逆ギレして「なんで持ってきてくれへんかったんや!!( *`ω´) 」と言った。
妹は「あんたが忘れたから悪いやんか!(`_´)」とたぶん言って険悪なムードになった。

そのまま自転車に乗り2人で家に帰り出した。
無性に腹が立っていたので、前に居てる妹の自転車をスピードを出して追い抜かした。
妹も抜かされた事が気に障ったらしくスピードを出して追いかけてきた。
二人とも無言でスピードを上げて走り、車で言えば〝カーチェイス〟のような感じになった(^_^;)
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最期の50メートルのストレートな道で妹を抜かし前に踊り出た。
やったーー!!! (≧▽≦)(心の声)
そのまま順位は変わらず家に着いた。
大人げないが「勝ったぞーー!!(^O^)」と心の中で叫んだ(^。^)
妹はとても悔しそうにしていた^^;

そんなくだらない事で本気で戦った夜だった。

お正月のお餅

昨日の兄ちゃんのコメントで書いてたようにうちの家は確かにお残し厳禁だった(^_^;)

私は今でもお餅が苦手だけど子供の頃、お正月には毎年必ずお雑煮が出てきた。
お母さんは「お餅は美味しいけど太るからな~o(^▽^)o」と言うくらいのお餅好きだったので
私にお餅を食べさしたかったのか毎年私のお碗にお餅を入れてきた。

お正月になると毎年恒例のようにお母さんはピッタリと私の横にひっついてきて
「えりちゃんお餅食べなさい( ̄ー ̄)」と少し恐い顔をして何度も言っていた。
少し囓るだけでも嫌やのに、お母さんは「ガブっと食べたら美味しいから!」と言っていた。
私は「嫌やーー(ToT)」と新年早々から泣きながら抵抗していた。
嫌々ながら少し食べるとお母さんは納得したようだった(⌒-⌒; )

小学校の高学年ぐらいからさすがに諦めたのかお餅は入れなくなってきたf^_^;)
今だにお正月があまり好きではないのはお餅のせいもあるかもな~と思ったりする(´ε` )

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お母さんの料理

子供の頃にお母さんはよく『ロールキャベツ』ではなく『ロール白菜』を作っていた。

いつも『ロール白菜』が出るたびに、また出たな(−_−;)と思っていた
作り方はキャベツで作るのと同じように白菜を一枚づつはがし少し湯がいて、そのまま一枚にミンチを詰めてコンソメで煮ていると思う。

白菜が一枚物なのでロールされると結構な大きさになって口に入らないので、まず爪楊枝を取って白菜とミンチに分解して食べていた。

白菜は葉っぱの方から食べ始めるけど繊維が多くて噛みきれないので途中で必ず白菜が喉に詰まり「コエッッ…( T_T)涙」となりながら手で白菜を引っ張り出して食べていた。
その喉に詰まるのがとても嫌だった(~_~;)
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あと栄養面を気にしてか、カレーには細かく刻まれたピーマンが入っていた。
おいしいはずのカレーが…(◎_◎;)
カレーに負けずピーマンは青々しい匂いを放っていた(^_^;)
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どちらもお母さんが作ってくれた子供の頃の懐かしい定番料理だった。

初めてのロッククライミング

パン屋でアルバイトをしてる時にみんな仲が良かったので仕事が終わってから〝ラウンドワン〟に度々行っていた。

私も一度だけ行ったことがあって、その時に卓球やら色々遊んだ。

しばらくしてからバイトの子が『ロッククライミング』しに行こう(^O^)/と言ったので私もそこに着いて行った。
壁に色とりどりの手に掴むやつがひっついていて、バイトの子が登っていて結構早く登っていた。

楽しそうやな~( ´ ▽ ` )と私は下から眺めていた。
「ねえさん(あだ名)一緒に登ろう(^O^)」と誘われたので私も登ることにした。
登り始めて直ぐに、楽しそうに見えたけどけっこう腕の力いるな~(; ̄O ̄)と思いながら登り
3メートルぐらいを超えた所から動けなくなった(-。-;友達は頑張って登ってた。

下で見ているみんなが笑っているので、私が動かれへんようになったから笑ってんやろうな~と思った。
しんどいしもういいわ( ´θ`)と思いそこから下に降りた。
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降りた瞬間「ねえさん靴下!!」と笑いながら友達に言われたので見てみると
靴下のかかとが直径4cmぐらい丸く破れていたΣ(゚д゚lll)!!
しかも両足同じように破れていた!!(ミラクルや!)

しかし、なんでこんな時に…( ̄◇ ̄;)タイミング悪すぎと思い。
前の方が破れてたら靴を脱いだらすぐ分かったのにな~( ̄^ ̄)と訳の分からないことを考えていた。

それ以来ちゃんと靴下に破れがないかチェックするようにしている(´ε` )


お母さんと花粉症

今年も花粉の季節がきた。

妹も花粉症で20代後半で私より2年ぐらい前に発症してた。
お母さんも5〜6年前ぐらい前からたぶん一番乗りで花粉症にかかり結構症状がひどかった。


その当時お母さんは花粉症について知識がなかったので
妹と私が「お母さん花粉症と違う?」と言っても
お母さんは鼻をかみながら「絶対に自分は花粉症じゃない」と言い切り
「この時期になると何かに攻撃されるんや!!( *`ω´) 」と2~3年ぐらい言い続けていた(^◇^;)
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最近になってテレビで花粉症がよく報道されてお母さんもようやく自分が花粉症だったと気づいたらしく
花粉の時期に実家に帰りお母さんに「花粉症どうなん?」と聞くと
「鼻炎の薬を飲んだら一発で治るわ(^o^)」と言い、前までは何かに攻撃されてる!と忌々しく言っていたのが嘘のようになっていた。
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さらに「あんたもこの薬飲むか?よう効くで(*^_^*))」と良い薬を見つけたのか私に薬を薦めるまでになっていた。



名古屋の旅

ninnjya


今日は日帰りで名古屋に行って来た(^_^)

はなちゃんからは、いとこにあたる去年11月に生まれた甥っ子を見に行った。
お義母さんとお義父さんと一緒に車に乗り込み約2時間30分ほどで名古屋についた。

近所で腹ごしらえをしてからマンションに行った。
「こんにちは~」とゾロゾロみんな中に入ると、上の1歳11ヶ月になる姪っ子は色んな人が入って来たので驚いて暫く泣いていた(^◇^;)
生まれて3ヶ月になる甥っ子はまだ人見知りがないのかとても大人しくしていた。
はなちゃんも最初は大人しくしてたけど、だんだんテンションが上がってきて最後の方にはキャーキャーと奇声をあげていた(; ̄O ̄)

シュークリームを頂きしばらく団欒し3時頃までゆっくりし、帰る頃にひつまぶし用の鰻をお土産にもらった\(^o^)/一番の好物や!
お土産を手に満面の笑みで駐車場に向かった。

夫は車にはなちゃんを乗せて運転席に行った。私は後ろで色々荷物を積んでいると、車が前に少し動いたので荷物が落ちた。
それを拾って前を見ると後ろは全開なのに車がどんどん前に進んで行った(◎_◎;)??
あれっ??私だけ忘れられてる!?と思ったが一言も声が出せなかった。
しばらく車は前に進んでいたが私が乗ってない事に気付いたようで止まった。
全開の扉からみんなこっちを振り返り笑いが起こっていた(⌒-⌒; )

それから3時間ほどかけて大阪に帰ってきてカレーを頂いてから無事に家路に着いた。
少し疲れたけど楽しい旅だった( ´ ▽ ` )





気の毒なチワワ

プチが亡くなってからお母さんは元気がなく玄関にひっついているヤモリの事を「プチの生まれ変わりや」と言ったりしてたので、私は単純に新たに犬を飼ったら元気が出るんじゃないかと思っていた。(ヤモリは兄ちゃんの話で思い出した(^_^))

ある日新聞を見てると〝犬の通信販売〟と書いてあったので妹にこれで一緒に犬を買おうと話を持ちかけた。
何の犬がいいかな?チワワが気になってるからチワワにしよう(後にアイフルのクーちゃん(チワワ)が流行り出したな~)話は決まり電話することにした。
早速電話するとお店の人が「毛の長い黒色のチワワならいます。」と言ったので本当は毛の短い茶色が欲しかったけど妹とまあいいかとなり注文した。
暫くすると家の前に車が止まりチャイムが鳴った。
黒色の目の上にマロの様な白い斑点が2つ着いたチワワが運ばれて来た(^O^)
確か6万円ほど払い(通常の半値)ゲージを買って玄関に取りあえず置いた。

しばらくしてからお母さんが外から帰って来て玄関に入った。
「ぎゃっ(´Д` )!!何やこの犬は!!」
お母さんは家に入るなり叫んだ。目が悪いので犬の白い斑点の所が目に見えたらしく、腰を抜かさんばかりにびっくりしていたf^_^;)
相当このチワワが嫌で気味が悪いらしく「プチは黒い犬が嫌いやったんや!(`_´)」と初めて聞く情報をお母さんは言っていた。
喜ぶと思って犬を買った私達は動揺した。
妹とどうしようか?お母さんが嫌がってるから店に電話して返そうと言う話になり、通販に電話すると、店の人は「返品はできません。」と言った。
( ̄◇ ̄;)…取りあえず電話を切り、妹とまたどうしようかと話すと、お金はいいから引き取ってもらおうと言う話になった。
もう一度通販に電話をしたが二度と電話は繋がらなかった(; ̄ェ ̄)

兄ちゃんが帰ってきて犬を見ると自分もプチを連れてきたので他人事と思えないのか引き取り手を探してくれた。
一人いけそうやと言ってチワワを持って行った。
帰ってくるとあかんかったらしくチワワを持って帰ってきた。
その人いわくこのチワワは歯の状態を見ると結構年がいっていることが判明した(◎_◎;)
小さいので生まれたてやと思ってたので衝撃だった。
みんなからいらないと言われてるようでチワワがものすごく気の毒に思え簡単に生き物を買ってしまった罪悪感がすごくあった。
どうしようえらいことになってしまった(~_~;)その日一日チワワは取りあえず家にいた。
チワワは居心地が悪そうに少し怯えてるように見えた( ̄◇ ̄;)

結局、次の日お父さんが知り合いの人にいうとその人はチワワを引き取ってくれた。
しばらくして、その人の家ではもう一匹犬がいたが一緒に仲良くしてると言ってたのでホッとした(^◇^)
お母さんはプチが死んで悲しかったが散歩に行かんで良くなったのでやれやれと思っていたらしく、私の勘違いやったわ(-。-;と思いチワワに肩身の狭い思いをさせた事を反省した。

まりちゃんへ

双子の妹には妹やけど今までにすごく助けてもらっている(^。^)

高校を卒業してから6年間事務員をしていたけど恐ろしく怖いお局さんががいてたので辞めた(⌒-⌒; )
それから、友達のお母さんの喫茶店を週1で手伝わしてもらい(ほとんど動いてなかったけどエビフライとか色々食べさしてもらったな~(^^;;))
それから、近鉄百貨店に入ってるパン屋でアルバイトを始め、朝の9時頃出て帰りは夜の10~11時頃までほぼ立ちっぱなしだった(^◇^;)仕事もけっこうハードだった。

最初の頃「しんどいしんどい( ´θ`)」と言っていたので心配した妹は私の為に、やずやの『ニンニク卵黄』を毎月買ってくれていた(*^^*)お父さんにも香酢買ってたような…
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そして妹は「ボーナスが無いから…」と言って私にボーナスの時はおこずかいをくれていた(^^;
一度USJの年間パスまで買ってくれたが、私が乗り物が怖いのでほとんど行かず真冬に一回行って寒すぎて〝スパイダーマン〟だけ乗った記憶が…

今でもはなちゃんより一年前に妹が女の子を出産したのでその服とかが全部うちにやって来る(^◇^;)
私は妹から恩恵を受けまくってるな~と思っている。
まりちゃんいつもありがとうな~( ´ ▽ ` )ノ



睡眠不足

今、はなちゃんは6ヶ月になり寝返りもできるようになった(^。^)

昨日の晩、はなちゃんは9時ごろに眠り始め私は10時ごろに就寝した。

夜中の12時に、はなちゃんはゴソゴソと起き出し暗闇の中、寝ぼけながら寝返りをし始めた。
いつも2時頃まで寝てんのに今日は早く起きてきたな~(~_~;)と思いリビングに行って15分ほど母乳をあげた。
布団に寝かせ一緒に寝ようかと思ったら、また寝返りを始めたので寝かせる為に台所にミルクを作りに行き、はなちゃんに飲ませてると、目をあけて寝返りしだしてミルクを飲まなかった(⌒-⌒; )

はなちゃんを寝かそうと両腕で押さえつけ暫く格闘した( ̄^ ̄)途中眠さで記憶がなくなり…暗闇の中で目を覚ますと
はっ!!はなちゃんがうつ伏せになってるΣ(゚д゚lll)??
大変や!と思い持ち上げたら、実際は普通の体勢で寝てたらしく(◎_◎;)しまった!!と布団に置いたけど、はなちゃんはすでに起きていた。

そして〝頼むから寝てくれ!!(^◇^;)〟と願いながら転がってたカラの哺乳瓶を口に吸わせた。
はなちゃんは哺乳瓶をスカスカさせながら寝てくれたようだ。

4時頃また、はなちゃんは起き出し寝返りを始めた(。-_-。)
今日はえらい起きてくるがな(T ^ T)眠い…眠いがな…と起きないでいると、はなちゃんが騒ぎ出したのでまた母乳をあげて、それでも寝ないのでミルクを作りに行き哺乳瓶を口に入れた。そこから記憶はない。

私は6時に起床し、そして朝の7時に泣きながらはなちゃんは起きて来た。
これから眠い日が続きそうやな~と思った(^◇^;)
 はなちゃん一家 

はなちゃん 平成23年8月25日生まれのA型の乙女座 大阪の泉南市に長女として生まれる。

はなちゃん母

Author:はなちゃん母
昭和54年生まれのO型。
両親は徳島県出身で大阪の八尾に生まれる。
兄妹は四人で兄が二人、妹とは双子で生まれる。
双子座で好物はうなぎ。苦手な食べ物はお餅


夫は昭和51年生まれのA型
両親は高知と徳島で大阪の泉大津で生まれる。
兄弟は男三人の長男
魚座で好物はギョウザ
苦手な食べ物は漬け物

今のところはなちゃんはあまり登場していない(-。-;

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